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生活と制作と

2024.11.28


いつも制作に浸かる毎日をはじめると生活がおざなりになる。食事も睡眠も否定してわたしの作るべきものと向き合ってしまう。そもそも食事というものに対してはあまり気持ちがなくって、お腹がいっぱいになると何にも手がつかなくなるし、いつだって特に食べたいものなんて浮かばないし。寝ることは好き。悪夢は嫌いだ。そうやってここ最近も酷く壊れた様な生活をしていたからかしっかりと風邪をひいた。頭が痛い。喉が痛い。咳が止まらないから耳が詰まったふうな感じがある。どうにも両立しなければなあと思いながら日々やっているんだけれど、思ったよりもそれは難しいもので、生活に目を向け始めるとまずは部屋を掃除しようだとかデスクの上の環境を一新してやろうかしらとか、適当な曲に合わせてギターを弾き始めては何時間も過ぎてしまっているだとか、色んなことから目を背けるための免罪符としてわたしは色んなことをする。その時間が無駄かと言うとそうではないんだけれど、やっぱりこういうことを今はしているのだからしょうがないよねと自分に言い聞かせてしまう瞬間とすら言えた。好きだから音楽も絵もやっていることに今も昔も変わりはないからこそ、どうしても納得するものができるまでの時間というのは見たくもないわたし自身と向き合う時間が必要なので、苦しいし怖いしどうしようもない。言葉になおらないことばかり頭の中から掘り上げてこれは一体どうなんだとわたしに問いかけては、そんなことを言葉にしてしまうことは無粋だろうとわたしに叱られて、全部ぐしゃぐしゃにして捨てる。絵なんてまさに顕著なもんで、紙ゴミ用のゴミ箱には捨てたスケッチブックがひとつ取り出してしまえば全部わらわらと出てくるくらいにとんでもない密度で詰まっている。それを見るたびにもどこか悲しい気持ちが湧いてくる。これを描いている当時のわたしは全力で向き合っていたはずなのにどこか一部分がずれてしまうだけで破棄されてしまうので、もしかしたら捨ててしまうことで当時のわたしを否定しているとすら言えるのではないかと。この作品を聞いてほしい、みてほしいあなたのためにわたしは全部できることを詰め込んで毎作品を出しているつもりなので、そうなってしまうのは、ううんしょうがないんだけれどね。だけれどそれはどんなことにだって言えると思った。ちょっとしたずれによってどんどん求めるものから乖離していって、あまつさえ完成したとしてもそれは全部ずれたものに見えてしまうんだ。いずれ捨てられてしまう、それは自分自身にかもしれない。

もっと歌が上手く歌えたらなとか美しく言葉を扱えたらななんて考え始めるとキリがない。自分を否定していたり、そこから逃げているわけじゃあないんだけれど、目を向ければ向けるほど瑣末な粗ばっかりを見つけてしまってやるせなくなる。その瞬間には瑣末なものであってもおそらくそいつを無視して進んでしまうとこれまた全部ずれはじめてしまうんだ。パズルだって1ピース無くしたくらい大丈夫、こんだけピースがあるんだからと進めてしまっても、最終的に一つぽっかりと穴が残ってなくしたピースを見つけないことには完成することはない。残酷なもので最後の一ピースを見つけたとてパズルというものは、ピースとピースの狭間に線が入っているので絵画の様に美しい平面を作れないらしい。それが嫌なわけじゃないことと、だからこそパズルは美しいんだってことは承知の上で、やはりどこまで完璧を追い求めたってそいつにはそいつなりの限界があるとわたしは信じている。イラストだってデッサンがひたすら上手ければいいわけでもないし、まして色がついたイラストの方が優れているわけでもない。平面で綺麗な絵画が正しいわけじゃない、パズルのようにばらばらになったものを組み上げる時間がないと美しくないわけでもない。限界はあるけれど限界にたどり着くことというのはほとんどの場合自意識からくる主観的な瞞しで、もし本当にその限界にたどり着いてしまったとしたらきっとそれからというもの一切何をしようと納得ができない日々が死ぬまで続く。だから今のわたしと向き合って何かをする必要があるんだと思うし、今あなたに聞いてほしい歌を作る理由があるんだとわたしは思う。冒頭であんなことを書いてはいたものの、制作というのも生活の一部として機能していて、何にも作ることを考えない日はなかったしおそらくこれからもないだろうし、じゃあ制作がなくなったら健康な毎日が待っているかと言われると、何にもできないひとりの人間だけが残ってぶつくさと誰に聞こえるでもない戯言をぼやいて項垂れていくだけだろう。生活がなくてはものは作れない。当たり前だけれど逆も然り。どちらとも均衡を計りながら生きていく術を身につけないと、どちらも壊れゆくんだなと何度目かと数えきれないうちの風邪をひいてまた気が付いた。

シングルのリリースから一週間経ったらしい。どうだったかな。あんまりこれまで作ってこなかったアコースティカルな曲になったと思うんだけれど、あなたの耳にすこしでも残ってくれたら嬉しいし、何回も聞いてもらえたら嬉しいです。最初に聞いてから一週間後でも、一年後でも、数十年後だっていい。ふとした時にあなたの生活のそばにわたしの音楽があるとすれば、それはやっとわたしの音楽が生まれてこれたわけになります。文面で伝えてしまうと浅ましくなるかもしれないけれど、これを読んでくれてありがとう。もしあなたが新しいシングルを聞いてくれたのなら、それもありがとう。MVはもう少し待っていてください、ごめんね。体調を治しながら必死こいて絵を描いています。毎度毎度聞き飽きた言葉かもしれないけれどきっといいものになるので、映像が出た時にはどうか何度もみてほしい。あなたも心身ともに体調には気をつけてね、こっちはもう声を出すのもしんどいぜ。



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