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タイプファイ

2025.02.14


午前3時。ひたすらに絵を描く日々。いつも映像を作るためにペンを握り続ける毎日に閉じ込められると、わたしは音楽やってるよ、と胸を張って言えるのかどうかすら曖昧になってくる。毎度毎度今出来る全力で作っているので、作品数と比例するみたいに費やす時間と労力が増えていく。今もMVを作っているのだけれど1ヶ月以上散々の時間を溶かしても完成しないとは思ってもみなかった。はやく聴いて、見てもらいたいなあと年末あたりからずっと思いながら生きているので、その感覚がどうやら肌に染み付いてしまってお披露目できる瞬間とやらが来ないのではないかと恐れている。ううん、もうすぐ完成しそうだからそんなことはないだろうけれど。

そんなこんなで夜の空気と一つになりかけながら気晴らしにブログを描いてみる。寒い外を適当に歩いて、目についた自動販売機であったかい飲み物を買った。コーヒーだかココアだかよく見ずに買ってしまうことはよくある。そんで飲んでみるとほとんどの確率でコーヒーの苦味が舌にまとわりついている。家でコーヒーを飲むときはいつもインスタントコーヒーの粉をコップ半分くらいまで入れてそこにお湯を注いでいるので、外で飲むコーヒーは大抵薄く感じるはずなのだけれど、自動販売機で適当にボタンを押して出てくる彼奴等はどうにも苦く感じる。それはココアが出てくる可能性を想定しながら味を確かめるからかもしれない。もしくは飲み物すらも明確に決めあぐねてしまう自身の弱さからかもしれない。悴んだ手でぼんやりと缶を持って眠る街を歩いていると、わたしはいつも色んなことを考える。この街にはわたししかいないのではないか、とか、遠くで聞こえる物音はもしかしたらはるか昔にわたしが発した生活なのではないか、とか、街頭の少ない路地裏から見える星たちは今この瞬間にはもう消えてなくなっているかもしれない、とか。そんな誰に話したいでもない言葉ばかりが頭を埋め尽くして、精神がどんどん鋭くなって触るだけで怪我をしそうになる。脳みその一部は既に血かもわからない。多分、探してみれば話したいことなんて沢山あるんだろうね。今日の空の色でも昨日のご飯のことでも何だっていいはず。それなのにわたしは全部を封じ込めたくなる。口を開かなければ呆れる嘘だって聞かないでいいし、目だって開かなければ淀んだ現実を見ないで済む。でも恐ろしい悪夢なら、それと同じくらいみたくない。


目が覚めた瞬間、たまに少し前まで見ていた夢を鮮明に思い出せる時がある。そういう時は決まって恐怖を感じていたり、痛みを伴っていたりする物語な気がする。物語と呼べるのかすらわからないくらいにひしゃげた展開なのだけれど。その夢達には恐怖と痛みと、もうひとつ、うまく声が出せない、という共通点も患っていて誰かを呼ぼうとしたり、叫ぼうとしたり、伝えようとしたり、わたしが声を発したいと思ったその瞬間には微かな息だけが漏れてくる。何度そういう夢を見たのかも覚えていない。声を出そうとしても小さな虫の羽音みたいな息がすーっと出てくる。心の中では音でガラスを割ってしまうくらい叫んでいたとしても同じで、時々それが恐ろしくって体が蠕動するみたいに目が覚める。天井が視界に写っていることを認識した時声を出しては安堵する。あれは何なんだろうとよく考えるけれど、考えたところでよくわからない。夢占いだって本によって全く違うことが書いてあるし、それにその全てがわたしに当てはまらなかったりする。


人と話していて、わたしは人間の行動や思考や経験をひとくくりにするのが極端に嫌いなんだろうと考察する。MBTI診断というものが少し前に流行ったことを思い出す。あれは元々自分自身の理解を深めるための診断で、意識下の認知と無意識下の認知を自覚して変な癖を解くものだったと何かで読んだことがある。今ではそれがその人を分類するステータスとして扱われている場面を多く目にする。あなたは〇〇〇〇タイプだからわたしとは合わないねー、とか、〇〇〇〇タイプならこういう考え方だねー、とか、そんなことを見聞きしているとねえそんなのってどうよ、と言いたくなる。確かに人間の中である程度思考が似ていることはあるだろうし、それをタイプ分けすることだって容易いのかもしれない。タイプ分けされたってそれは別にどうだっていいけれど、わたし、という人間をみる前にそのタイプだけを見て判断されてしまっては溜まったもんじゃあない。そもそもあの診断の使い方は性格や思考を決定づけるものではないはずで、人間関係というものはまず第一にあなたはあなたで、わたしはわたしで、まずはそこに目を向ける必要がある。小さな主語でお互いにおしゃべりしようよ、とわたしは思う。わたしは。


沢山の思考達に囲まれながら息をする。ベランダで行き交う車を眺めていると恐ろしく時間が経つ。もう完成しかけているミュージックビデオの原画と、作りかけの数多の音源と、凍えかけのわたしと死にかけみたいなわたしとが全部溶けていく感覚になる。わたしには大切に音楽を作ることしかできない。そんな音楽が広い世界の中でもしあなたと出会えたらなんて幸せだろう。

お互いに見つめていなければ目が合うことはない。だからわたしの作るものは、ずっと、きっと、あなたを探している。どうか、見つけてほしい。

長々とありがとうね。またブログ書きます。

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