2022.06.06
ここ最近は自分の居場所について、思考を巡らせることが多い。一体今自分は何処にいるのだろうか、自分自身は何処に生きているのか、自分の音楽はどんな場所にあるのか、考えれば答えが出てくるものではないけれど、そればかり考えることに粉の中の飴玉を探す様に必死になってしまう。逐一今を見つめ直すことで自分自身の在り方を望めたら、なんと美しいでしょうか。そんな幻想染みたことを思いながら居場所を考えて、探している。旅の途中か、山の中腹か、はたまた未だ旅の準備段階か。ファンタジーな展開を脳の中に交えながら。ただ恐らく旅の最終目的なんて見えてもいないんだろうなとは思う。言葉にしても、音楽という形にしても、如何せん正解も間違いもない様な中で発信していくことに意味を見出すには自分の価値観や、理想が大きなものになってきて。そんな客観性のないものに縋って人生の最終到達地を決めてしまうことは恐ろしくて仕方ない。自分はこうありたいだとか、こういう存在になりたいと願う像は持ち合わせているが、それが自分の中での本当かすらも曖昧でいて、長い期間を通して生きていく道の中で恐らく変化しながらいくものなのだろう。そんな生きる道のりみたいなものを、良く石ころを蹴飛ばす帰路に似ているなと思う。学校から帰る時に見つけたお気に入りの石を家に辿り着くまで蹴飛ばす。最初は荒削りに落とされた様な形でも、いつの間にやらまん丸くなっていたりはたまた割れて小さくなっていたり、まちまちに変化していく。どんな結末になりえるかはわからないが、変化とはそういうものだと思う。自分ですら分からないものを客観的視点からどうこう言われてしまうことも何て浅はかだろうと思ってしまう。
居場所を考えながら、じゃあこれからどうしていこうだとか、こうやって変わっていくためにどうしようみたいことを並行して考える。自分は今ここにいて、本当にここには自分の居場所があるか。何処か別の場所へと歩きながらそう思う。自分自身は変わっていくことに対して少し恐怖心を持っているけれど、それすらも段々と美しいものだと思える様になってきた。だってじゃないと今音楽を作れていないかもしれないじゃない。今の自分に理解しえる範囲のものを、目に映る視界の中をどうやって音楽に落とし込もうかと考えていると、そう言った自分の居場所についての考えに辿り着いてしまう。音楽と自分自身ってのは隣接していて、どちらにも引っ張られてしまうんだなあと思うと面白い。自分の今までの曲に紐がくっ付いてるみたいに、自分の土壌を彼らが固めてくれているのかもしれないね。適当な書き綴りでした。今は色々な手続きを終えて、帰路の途中にいます。
そういえば告知のページを作りました。
色々と隠してみたので、無闇矢鱈に触ってみてね。少しページが重いのでクリックしてから暫く時間がかかるかもしれない、すまんね。良ければ見てみておくんなまし。