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メーデー

2023.10.03


1stアルバム「MAYDAY」が9月12日にリリースとなった。今まではひたすら自分自身とだけ向き合って作ってきた音楽が、少し広い視野を持って作らせてもらえたアルバムになった気でいる。手に取ってくれた人たちからは嬉しい言葉をいただき、作ってよかったのかもしれないと思いはじめています。みんなありがとう、まだ聴いていない人は良ければ聴いてやってください。

直球に言うと、こういう形でのアルバムは本来作りたいものではなかったというのが正直なところである。それはクオリティや妥協云々ではなくアルバムの奥の奥の芯の部分に対してと言おうか。最終的に出来上がった作品を否定しているつもりはないよ。いいものになったとは思う。ただ時間は止まらずに、ひたすら自分も周りも変わって行くことはわかっているけれど、寂しさや孤立感と言うものは自身と向き合えば向き合うほどに拭えない。そんなことを呆然と目の当たりにして当たり前に過ごしていた日々を思い返しながら、なるべくパーソナルにならない様に黙々と作っていったような気がする。もっと楽しい形で作れたのなら、きっとよかった。ただ今の自分にはこれしか作ることが出来なかった、ましてやこれ以外を作っても如何にも暗く暗く澱んでいくものになってしまっただろう。これで良かった、これじゃなければ駄目だった。そんなことを自分に言い聞かせながらもひとつ、納得できる形で作品として完成させられたのは安堵で満ちる思いではある。ボーカロイドを好きでいてくれた人たちにはどう聞こえているだろうか。僕にはわからないし、今はわからなくてもいい。

いつか自分は美しい人になれるのだろうか、優しい人とあれるだろうか。昔の自分自身を思い出すと精神的に色々と変わっている気もするし、なんら変わらない気もする。作りたい音楽も、表現したい自分自身も少しずつ変わってきた心地もある。変わっていったと言うよりも、そこに関しては技術がついた、とも言える。まして変わってしまったと思い込みたくなる瞬間も覚えている。僕は変わっていきたい。過去に囚われてしまいたくない、未来を見据えて生きる美しさを知りたい。変わって行くことは恐ろしいと誰かが言う、だからこそ変わってみたい。今の自分が愛せないのだから、愛せる自分へと変わりたい。目の前から色んな人が通り過ぎて、二度と視界に映せない人も増えてしまった。否が応でも淡々と変わって行く日常を歩いて行く様に、周りの景色に置いていかれない様に歩を進めなければならないのだ。ああしたい、こうしたいとただの戯言にしないためにはどうしようか。これからのことを思えば思うほど生きる居場所が見つからなくなる。過去の何かが重く伸し掛かるみたいに。ふと冷蔵庫を開けるとビールと少しの食べかけのチーズだけがこっちを見ていた。何を求めていようかともわからないまま貪る様に酒だけ流し込む日々に。

小学校の頃、朝の会のはじまりのチャイムが何だか酷く重たく感じたことを覚えている。学校生活のはじまりであって、小学生からしたら1日のはじまりそのものである様な気がした。こんなチャイムがならなければいいとさえ思った瞬間もある。理由なんて覚えていないけれど、きっとそう思っていた。それぞれの授業の始まりと終わりを区切る様にチャイムが鳴って、最後には帰りの会で1日が終わる。願っても時計は進んでしまうことを覚えた。嫌われることの怖さを知った。人から虐げられた痛みが残っている。

誰のことも悪く言いたくないけれどそういう体験をひとつひとつ噛み砕いて、今自分は慎重に生きている。人間は意外と簡単に死んで、目の前から風が吹くように消えてしまう。当たり前と思えば思うほど、その存在が心の真ん中にぽっかりと穴を開けて風が吹き抜けていく。生きていくことも死ぬことも簡単じゃない。無論それは死んだことのない自分が言うのはおかしいけれど、簡単じゃないからこそまだ生きている。ありふれた言葉として、終わりがあるから美しい。だからせめて、歩いていたい。悲しい思い出も楽しい思い出も携えて遠くへ歩いていきたい。ゆるく靴紐を結んで、たったひとりきりでただ知らない場所までいってみたい。その時には自分のことを少しでも愛せるようになれていたのなら、それがいい。生きていてもいいのかは分からない、許されるのならばうまく生きたい。メーデー、メーデー、メーデー。届いているのならば涙一滴でも垂らしてくれ、後悔と少しの矜持をかき集めて持って行くよ。







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